「自分で作れる」と思えたのは、40年の技術経験があったから
機械設計
システム開発
設立・現役
某重工業株式会社で 機械設計を約20年。
その後、業務の効率化やシステム開発の仕事を 約20年。
合わせて40年のエンジニア経験が、私の技術の基礎となっています。
「座れる杖を自分で作る」と決意できたのも、現在AI・Claude Code・自社サーバー運用まで一人でこなせるのも、すべてこの40年の積み重ねがあったからです。
▼ もう少し詳しく ― 高卒、独学、そして社内システム化へ ▲ 閉じる
40年間、技術者として、組織の中で生きてきました。
正直に申し上げると、私は高卒で某重工業に入社しました。
周りはほとんどが国立大学卒業の優秀な人材ばかり。
最初は、その差に押し潰されそうになりました。
それでも、めげずに ― 「コツコツ、真面目に」だけを武器に、 先輩方の足を引っ張らないようにと、毎日を積み重ねていきました。
ちょうどその頃、パソコンが世の中に出始めた時代でした。
職場にはまだ、パソコンを使える人がほとんどいなかった。
私は知識ゼロでしたが、触ってみると、これが面白かった。
独学で勉強し、職場で「一番」になることを目指しました。
努力は実りました。
やがて、社内システム化の仕事を任されるようになり、
最後の20年は業務効率化・システム開発の責任者として現場を支えました。
多くの大卒の中で、高卒の自分が頑張っていた経験。
その経験を通して、私の中にひとつの想いが芽生えていきました。
「会社で一番のポジション ― 社長になりたい」。
組織の中で出世の階段を上ることではなく、自分で会社を興して、自分の手で社長を目指す。
それが、私の選んだ道でした。
社長になりたい ― 表向きには、そう語ってきました。
でも、本当のところは、家族の誰にも話してこなかった、ひとつの願いがありました。
「子どもたちから、
尊敬される父親でありたい」
それが、私が社長を目指した、本当の理由でした。
社会的な肩書きが欲しかったわけではありません。
子どもたちの目に、誇れる父親として映ってほしかった ―
その、ただひとつの願いです。
ある孫に、こう呼ばれているそうです。
その子には、おじいちゃんが二人います。
その二人を、孫はこんなふうに区別しているそうです。
「おもろいほうの、
おじいちゃん」
― そう思ってもらえていることが、私には、何よりの宝物です。
尊敬される父親に、まだなれているかは分かりません。
でも、「おもろいおじいちゃん」と呼んでもらえる。それだけで、今は、十分です。
― 出発点が遅くても、コツコツ独学で「一番」を目指せば、道は開ける。
それを、70歳の今もう一度、実証しているところです。
「挑戦しなかったこと」― 95人の答えに、雷が落ちた
定年が見え始めた頃、ある記事に出会いました。
「死ぬ直前の100人に、人生で後悔したことを尋ねたアンケート」。
95人の答えは、ただ一つ ―「挑戦しなかったこと」。
同じ答えがこれほど集中していることに、私は雷に打たれたように衝撃を受けました。
自分はどうだろう。
40年間、技術者として、組織の中で生きてきた。
「一度くらい、自分で社長になってみたい。挑戦しないまま終わりたくない」。
その想いが胸の奥から立ち上がりました。
選んだのは、これから伸びるインターネット関連の仕事。
一人で始められて、可能性が広がる分野。
そうして私は、ネット販売の仕事から起業の一歩を踏み出しました。
ただ、私の決断には、周りからは驚かれる側面がありました。
同期の95%が、5年間の雇用延長を選ぶ中、私は退職を選んだのです。
「どうして辞めるの? 辞めてどうするの?」 ―
周囲は皆、不思議そうに私を見つめました。
家族にも、退職して起業したいと相談しました。
正直に申し上げると、全員から大反対されました。
それでも、定年で挑戦をやめる人生は、選びたくなかった。
家族の反対を押し切って、私は退職と起業の道を選びました。
とはいえ ― 知識ゼロ、経験ゼロ、指導者ゼロ。
文字どおりの「手探り」で始めた仕事です。
その後の数年は、誰にも負けないほどの失敗を積み重ねた時期でした。
「子供たちに知られて、
恥ずかしい仕事はしない」
ネット販売の世界では、金儲けのために手っ取り早い方法は、いくらでもありました。
破廉恥なグッズを売るとか、グレーな商品を扱うとか ―。
でも、私は決してそれらには手を出しませんでした。
子供たちに誇れる父親でいたかった。
それが、私の事業の根っこにある、絶対に譲れない原則です。
それでも諦めず、2社を立ち上げて、それぞれ軌道に乗る段階まで持っていき、 「経営は早めに若手に任せたい」との想いで、両社とも後継者に代表取締役を引き継ぎました。
そして70歳の今、3社目のSMILE70に挑戦しています。
― 後悔したくなかった。失敗を恐れなかった。それが、すべての始まりです。
3社目のSMILE70を立ち上げるとき、私の心の中には大きな葛藤がありました。
家内は心臓病の手術を経て、今もリハビリと通院を続けています。
「危険なこと、新しい挑戦は絶対に反対」 ― そう言うであろうことが、わかっていました。
私は家内のために、毎日 介護と家事を全うしています。
家内に、これ以上の心配をかけたくなかった。
でも、自分の挑戦を諦めることもできなかった。
家内には伝えずに、
ひとりで3社目の会社を立ち上げました。
子どもたちには、将来の相続にも関わることなので、事前にすべて説明しました。
子どもたちは、私の挑戦を理解してくれています。
SMILE70が軌道に乗ったとき、私は家内に、すべてを正直に話します。
それまでは、心配をかけずに、静かに挑戦を続けたい。
― それが、家内への、私なりの愛情のかたちです。
「成功したら、報告します。それまで、もう少し見守っていてください」
起業を決意した、あの日から ―
10年が経過しました。
決意して、
本当に良かった。
心の底から、そう思っています。
死ぬときに、
「あの時、起業に挑戦すればよかった」 ―
そう後悔しなくて済むからです。
正直に申し上げると、家族全員の反対の中、一人で、失敗の連続で、本当に大変な思いをしました。
眠れない夜も、何度もありました。
辞めようと思った瞬間も、なかったわけではありません。
それでも続けられたのは、ただひとつの覚悟があったから。
「絶対に、成功するまで辞めない」
― そう、心に決めていたからです。
100人のうち、95人が「挑戦しなかったこと」を悔やみました。
私は、その95人には、入りません。
妻の入院、そして病院で見た光景
家内が心臓病で手術を受け、長期入院・リハビリすることになりました。 私は毎日のように、家内のもとへ通いました。
病院で目に留まったのは、杖をついて歩くシニアの方々の多さでした。 立っていることが辛そうな方、途中で休む場所を探している方。 自分の母や、これからの自分自身の姿が、そこに重なって見えました。
「座れる歩行器」との出会い
家内のリハビリ効果を少しでも早く出したくて、自分で歩行器を購入しました。 その時に出会ったのが 「座れる歩行器」 です。
途中で疲れたら、その場でちょっと腰を下ろせる。 この発想は便利だと、心から思いました。
「座れる杖」があれば、もっと多くのシニアが救われる
歩行器は便利だが、外出には大きすぎる。
一方で、杖は持ち運びが楽だが、座れない。
「座れる杖」があれば、もっと多くのシニアの役に立つはずだ。
そう確信して、市場を探しました。
ところが、適当なものが見つからない。
「ないのなら、自分で作ろう」。
70歳の私が、製品開発に挑むことを決意した瞬間でした。
200万円・6ヶ月、試作品完成までの道のり
2025年12月、合同会社SMILE70を設立しました。
理念は明快です ―「シニアによる、シニアのための商品・サービス提供」。
約200万円の自己資金を投じ、約半年で試作品まで漕ぎ着けました。
しかし、そこで壁にぶつかりました。
安全性のための設計改良・量産化のための試作・実地検証・製作方法の選定 ―
ひとり社長の自己資金では、ここから先に進めるだけの体力が残っていなかったのです。
「座れる杖」の商品化は、頓挫しました。
AIへの転換 ― 道具を変えても、目的は同じ
ものづくりで挫折した私は、もう一度、自分にできることは何かを考えました。
幸い、若い頃からパソコンが好きで、技術には自信がありました。
折しも、AIが急速に進歩している時代です。
「AIなら、シニアの困りごとを解決する道具になる」。
そう確信して、新しい挑戦を始めました。
製品から、AIへ。道具は変わっても、「シニアの幸せの種まき」という目的は、何も変わっていません。
最終目標 ― シニアとシングルマザーが一緒に暮らす家
AI事業はあくまで通過点です。
私の最終目標は、もっと先にあります。
シニアの一人暮らしの寂しさを、グループ生活と子どものいる住まいで解消する。
シングルマザーの子育てと資金不足を、シニアの知恵と人手で支える。
「シニアとシングルマザーが、一緒に暮らす家」を建てて、運営する。
これが、私の人生をかけた最終目標です。
70歳の今でも、
体が許す限り、
死ぬまで挑戦したい。
100人の答え。妻の入院。座れる杖の試作品。失敗。AI。そして最終目標。
すべてが、いまの私を支えています。
― 後悔の95人に、私は入りません。
座れる杖の試作品は、今も私の手元にあります。
いつか、最終目標の家の入口に、
完成品として置けたら ― と願っています。
70歳の今、心がけていること
毎朝の感謝、「足るを知る」、家内の介護と家事を楽しむ ―
70歳の今、私が大切にしている心がけを書きました。